Q&A・感想

No.263 Q:格闘技の安全運用(防犯:セキュリティー面)についての質問なのですが、格闘技を教えるという事は、一歩間違えば格闘技術という「武器」を悪人(犯罪者やテロリスト)にまで与えるような最悪の事態にもなるのでは?
A:安易な金儲け等のために、むやみやたらに格闘技術をばらまけば、当然その様な最悪な事態が起こる可能性も十分考えられます。

いくら優れた技術を教えても、それを間違った判断で使ったり、本人に悪気はなくとも悪者達にだまされ悪用されてしまったのでは全く意味がありません。

従いまして当道場では、ホームページの「概要・経緯」の項目でも記しましたように、「正義ありき力」の重要性を最大考慮し、細心の注意を払った上でその正しき理解者にのみ、高度な実戦格闘技術を伝えるように心がけております。

道場生に正しい判断を身につけてもらうための具体的な努力としては、間違った判断(悪の選択)に陥らないために先ず、机上の空論の徹底排除…「実証の出来ない、情報だけの判断」を排除してもらうために、道場生個々ができる範囲での実証⇒実証した範囲の中で成り立っている関連性や原理(リアルメカニズム)の確認作業…原理原則の説明⇒更なる可能性を模索検証する事で高度な経験を積み重ねていきます。

この作業を無理なくコツコツと積み重ねていくことで自然に正しい判断ができるようになっていきます。

同時にこれは普段の実生活でも可能な事であり、その発展と応用を目指していきます。

現実と非現実を正しく見極め、その状況で何がより有効的効果的かを意識していくことで初めて、そこから真実が見えてくる訳です。

「正義」になるか「悪」になるか、全てはその人間の判断にゆだねられる訳で、結局、どんな情報でも、情報だけでは現実と非現実が実際にわかり得ないため、(仮にその情報や知識が実際に正解・不正解にかかわらず)他者に言われてその情報を鵜呑みにするのではなく、スタートの段階やその都度、物事の正しい見方や捉え方・発想を与えるだけで、後はその発想をもとに個々が地道に実証経験を積み重ね、自らで悟り判断する事で初めて、正しい判断のできる人間に成長することが可能になる という事です。


 《補足》

格闘技術そのものの効果や実用性は比較的簡単に伝えれますが、何が正しき判断であるかを伝えるのは非常に難しく、又その人の考え方や将来の方向性を正確に見抜くのも大変難しいのが実情です。

それを正確に見極めるためには、人の見た目や上辺の対応だけでは一概に測れない「高度な経験」や「勘」が極めて重要なカギとなります。

知識や技術というものは、ただの「やり方」でしかないため、それを使う人間次第によっては簡単に悪用されてしまいます。

しかし知識ややり方だけでは、実際の状況(実戦状況や現実世界の複雑で高度な状況)に対応できず、たまたま上手くいく事はあっても、普遍的対応は不可能であるため、もろくも崩れ去ってしまいます。

本当に使える実戦技術というものは、上辺の「まねごと」や「なりふり」ではなく、あらゆる現実可能性を考慮した上でその状況下で『実際にできる事と出来ない事とを正確に見極める判断力』であり、そこに到達するためには「たゆまぬ向上心」と「徹底した追及力」が不可欠となっていきます。

重要なのは、そのための「意識の高さ」であり、日々の地道な執念の積み重ねによって身についたものこそが実際に使える最高の技術(本当の実力)となりうる訳です。

従って安直な理想論や確証のない技術(やり方)では、偶然うまくいく事はあっても、高度な現実には到底対応しきれないという事です。


そもそも「悪」というものは、「安易な判断・中途半端でいい加減な判断・偏見(偏った見方)・差別(決めつけ)・目先の利益だけを考えた身勝手な考え方やその行動など」を指し、それらの「悪因」によって結果的に「その状況における間違った判断」や「物事の優劣や優先事項を無視した利己的判断など」を引き起こす訳ですから、仮に安直な間違った判断で行動して、たまたま部分的な対応ができても、それはあくまで無意識の判断で引き起こした偶然の選択(あてずっぽうで選んだ意図しない統計確立上の正解)でしかなく、全体としての判断が間違っていたのでは、すぐ実際の状況(高度な現実世界)に対応できなくなってしまう訳です。

延いては、悪が栄えない理由がここにあります。

所詮お馬鹿で安易な判断でしかない「悪」はすぐ滅び、実際の状況下でより有効的効果的な賢い対応を追及する正しき判断…つまり「正義(筋の通った正しい論)」は必ず勝つという事です。
※ごまかしなくどこまでも徹底的に論を追及すれば、実体のない間違った考えは滅び、正しい判断は必ず勝つという意味。戦いにおける勝ち負け…勝敗の確立を含む「実戦や試合の勝利」を意味する例えではありません。一般的に分かっているとは思いますが一応ご参考までに。(@D@)v

要するに自然の法則である「物事の必然」によって、悪は滅び、善が栄える。という事です。

と同時に、いくら正義であっても、大切なものを守れるだけの「力」がなければこれまた机上の空論。

結局、それらの必然性を踏まえトータルで判断した場合、「素晴らしい技術や文化…良い物はむしろどんどん伝えるべき」というのが当道場の理念でもあります。


 《まとめ》

・仮に悪人に武器を与えてしまったとしても、「悪=安易な判断=浅知恵」でしかないため、実戦という高度な現実世界では、武器をうまく使いこなす事が出来ないため、「猫に小判なので意味がない」という事。
※ちなみに動物は人間が想像する以上に優れた感性と高度な本能での対応ができる。それはいちいち理屈で考えないで感ずるがままに対応するため。「猫に小判」はあくまで俗的な例えの表現です。
   A A
=(θдθ)= m  〜θ

・正義があっても、それを守れるだけの武器(力)がなければ、すぐやられてしまう。という事。

・結果的に「正義ありき力」が必要不可欠になる。という事。



 2011年08月18日 10:58:00


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